Wild Flower


悔しくて、情けなかった。
最後の最後にこれでは、ハンター失格と言わざるを得ない。
新米だなんて言い訳にもならなかった。
恐らく、ギルドの俺に対する評価は下がるだろう。
だけどそんなことより何より、今まで俺に力を貸してくれた連中に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
みんな、ごめん。
だけど今はどうにもならないんだ。
蹲ったまま阿門の後ろ姿を見送る。
その腕から零れた白岐の長い髪が、ゆらゆらと靡いていた。

震えが止まらない。
寒さとか、疲労とか、そんなものが理由じゃないことは分かっていた。
あの場では、冗談じゃねぇ誰が逝かせるか、なんとか二人を連れて地上に戻る方法はないか、 ってそれしか考えられなかった。
だけど焦る頭でいくら考えても、結局何も思いつかなかった。
そしてあの双子の力で助かった今頃になって二人が―――甲太郎が死んでいたかもしれないという恐怖がこれでもかというほどに襲ってきた。
それだけで身体が思うように動かなくて、すぐ傍にいる甲太郎の顔さえ見ることが出来ない。
そんな自分がひたすら悔しくて、情けなかった。
「……俺に支えられるのは嫌か」
耳元で聴こえたその声に、胸が締め付けられるように痛んだ。
どうしてそんなこと言うんだ。
嫌だなんて思うわけがないじゃないか。
軋む筋肉をどうにか動かして、首を振る。
肩を借りて、なんとか立ち上がった。
触れ合った身体はどこまでも暖かくて、俺は甲太郎が生きていることを漸く実感した。

「……じゃあ、俺は行くぜ」
俺をベッドに置き去りにして、甲太郎は部屋を出て行こうとした。
ここに来るまでの間、何を話せばいいのかずっと考えていた。
だけど今、俺の頭の中は真っ白だった。
寂しそうに笑いながら手を振る甲太郎の姿が、頭の中に何度も蘇っては消える。
「……残念か?」
無意識に出た言葉だった。
「死ねなくて、残念だったか?」
縋るような気持ちで尋ねていた。
ほんの少しでもいいから、助かって良かったと思っていてほしかった。
甲太郎が本気で死を望んでいたわけじゃないと信じたかったんだ。
多分、俺は自惚れていたんだろう。
他の連中の時と同じように、こいつのこともきっと解放出来るって。
だから甲太郎が俺の前に立ちはだかったとき、いよいよその時が来たことを俺は寧ろ喜んでいた。
もうこれで俺達の間に隠し事はなくなる。
やっとお前を救える。
そう思った。
こいつの中にある扉は内側からしか開けられないことに、俺はいつしか気づいていた。
そしてその扉が、漸く開いたんだ。
なのに―――。

甲太郎が副会長だったこととか、過去に犯した罪とか、そんなものに対する怒りなんて全く感じなかった。
ただ甲太郎が死を選ぼうとしたこと、それだけが俺には腹立たしくて、悲しかった。
最後の最後に、俺からも逃げるつもりなのかと。
このままじゃ終われない。
終わらせやしない。
俺は顔を上げ、甲太郎の背中に呼びかけた。
「甲太郎……」
なあ、見せてくれよ。
お前の底力を。
生き残っちまったんだから、もう諦めろよ。
そして、俺は告げた。
「逃げるのは、もう終わりにしよう」
甲太郎が何を恐れているのか、俺には痛いほど分かっていた。
だって甲太郎は昔の俺によく似ていたから。
俺もずっとずっと後悔ばかりしてきたから。
だからこそ言える。
失くしてからじゃ遅いんだ。
大切なものは失くして初めて気付くなんていうけど、それじゃあ遅いんだよ。
甲太郎は答えない。
「……怖いか?」
足がまだ震えている。
俺はお前を救いたい。
お前に気付いてほしい。
怯えているのは俺も同じだった。
「おい……!」
立ち上がろうとして倒れかけた俺の体を、甲太郎が支えてくれた。
そうだよ。
そんな風にお前はいつだって俺を助けてくれたじゃないか。
俺は甲太郎を見つめて、心の底から言った。
「甲太郎……俺はお前を信じている。お前が呼べば、地球の裏側からだって駆けつける。俺はお前を愛している」
好きだとは何度も言ってきたけれど、愛していると言ったのは初めてだった。
俺が甲太郎に抱いてきた気持ちは、親友という立場では物足りなくて、恋愛と呼べるほど甘い感情でもなかった。
それをどう表現していいのかずっと分からなかったけれど、やっぱりこれ以外に言いようがないみたいだ。
恋人同士が囁くそれとはだいぶ違ってはいるだろう。
でも俺は甲太郎を愛してる。
俺はここに愛を探しに来たわけじゃないから、本当はこんなにもお前に対して必死になる必要はないはずなんだけど、でも俺はどうしようもなくお前を欲している。
素っ気無い態度も、隠しきれていない優しさも、お前の笑顔も、お前の弱さも、全部が愛しい。
これが俺の答えだった。
お前に伝わるだろうか。
「それでもまだ、お前は怖いか?」
泣くつもりなんて無かったのに、涙が溢れる。
「俺が……いるのに……ッ」
俺は己の無力さを痛感していた。
結局、こんな陳腐なセリフしか言えないんだ。
だけどそれが真実で、全てだった。
甲太郎の腕に縋ったまま、俺は嗚咽を堪えていた。
漸く開いた扉が、再び閉じないことだけを願って。
そして―――暖かい掌が、俺の髪に触れた。
「九ちゃん……悪かった……。だから泣くな……」
ああ。
俺の想いは届いたのだろうか。
甲太郎の掌から、甲太郎の声から、今までに無い温もりを感じるのは気の所為ではないはずだ。
俺は涙を拭った。
「泣いてなんか、ねぇよ……」
ゆっくりと顔を上げると、甲太郎はせつなげな目で俺のことを見下ろしていた。
そんな顔するなよ。
お前らしくもない。
まるで捨てられかけた仔犬みたいだぜ?
自分が泣いていたことも棚に上げて、俺はそんな風に思った。
「甲太郎……お前は、大丈夫だって。なんたってこの俺が惚れた男だもん。きっと大丈夫」
俺がそう言っても、甲太郎はまだ不安そうだった。
「……そんなこと言っていいのか? 人間なんてそう簡単に変われるもんじゃない。きっと俺も」
「いいんだよ、それで。変わる必要なんてない。自分が本当に欲しいものを認めるだけで、それだけでいいんだよ」
そうだ、変わろうとして変わる必要なんてない。
そんなのは所詮、無理なことだから。
ただ自分に正直になること。
手に入れられなくても、欲しいと叫べなくても、 自分が何を望んでいるのか認められるだけでいいんだ。
それだけで人は道を探せる。
探さずにはいられなくなる。
何も望まずに生きていければそれはそれで楽かもしれないけど、そんな風になるのはもっと後でもいいはずだろう?
甲太郎は暫く考えていたようだった。
「どうしてお前は……そんなに強くなれる」
俺が強いと思われているのは、ちょっと意外だった。
甲太郎が死のうとしたことにダメージを受けて、後始末もつけられずに支えられながらよろよろと此処まで戻ってきて、 挙句の果てには泣き出して頭撫でられてる俺のどこが強いんだろう。
充分みっともないじゃないか。
俺は困惑しながら答える。
「強いとか弱いとか、よく分かんねー……。ただ、好きな人には幸せでいてほしい。それだけだよ」
色んな国で色んな人達を見てきた。
贅沢な病に犯された人々と、今日どうやって生きながらえるかだけが全ての人々と、どちらが幸せでどちらが不幸かなんて俺には分からない。
俺は神様でも救世主でもないから世界中の人達の幸せなんて祈れないけど、 せめて俺の大切な人達には笑っていてほしいと思う。
甲太郎には笑いながら、生きていてほしいんだ。
お前が好きだから。
本当に好きだから。

「九ちゃん、俺は……」
甲太郎の指先が俺の頬を撫でる。
くすぐったくて恥ずかしくて、俺は冗談めかして言った。
「甲太郎……キスしたそうな顔してる」
いつもの調子でバカとかアホとか言ってくれると思った。
だけど甲太郎は少し目を見開いて、それから短い溜息を吐いただけだった。
外したかな、と後悔していると、甲太郎は信じられないセリフを返してきた。
「……分かったか?」
耳を疑った。
本気なのだろうか。
本気なら嬉しいんだけど。
急激に鼓動が速まっていく。
顔が火照りだす。
「うん……分かった」
「そうか。なら……」
強い力で抱き寄せられる。
何も考えられなくなる。
甲太郎の唇が耳たぶに触れた。
「……お前の強さ、分けてくれるか」
囁かれ、俺は思いきって目を閉じた。
近づいてくる吐息に、また身体が震えだす。
微かな熱はやがて大きく膨らんで、俺の全てを支配した。

- end -

2005.02.21


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