Wild Flower
何が起きたのかはよく分からなかった。
真っ先に目に飛び込んできたのは、咲き誇る真紅の彼岸花。
だけど俺が立っていたのは彼岸ではなく、學園の温室だった。
―――生きてやがる。
あの場所を俺自身の墓にするつもりでいたのに、
間抜けにも生き残ってしまったことを知る。
絶望にも似た感情に襲われて、俺は舌打ちした。
「……白岐!」
背後で九龍が声を上げた。
地面に倒れていた白岐を抱き起こしている。
俺も駆け寄り、九龍と額を付き合わせて彼女の顔を覗き込んだ。
「……大丈夫そうか?」
「うん。気を失ってるだけみたい」
「そうか」
胸を撫で下ろす。
白岐が死ぬなどあってはならないことだ。
俺とは違って、この女は何も悪くない。
「……生徒達が騒ぎ出したようだな」
さすがは阿門だ。
今こうして此処に居ることは俺と同じく不本意なはずなのに、奴の声はあくまで冷静だった。
遠くに人の声が聴こえる。
あれだけの騒ぎだ、寮で眠っていた連中が気付くのも無理はない。
野次馬根性で墓地に向かっているのだろう。
「お前達は寮に戻れ。後の事は生徒会が処理する」
「阿門、俺も―――」
俺も生徒会の人間だ。
今更隠れる必要も無い。
だが阿門は後を続けさせてはくれなかった。
「お前も戻れ。これは会長命令だ」
威嚇とも取れる程の迫力に俺が言葉を失った代わりに、九龍が断固とした声音で答えた。
「それは出来ない」
九龍は真っ直ぐに阿門だけを見つめたまま、白岐の体を俺に寄越して立ち上がる。
「あそこには俺の仲間がまだ残っているんだ。戻るのは白岐と甲太郎だけでいい」
そう言って踏み出そうとした足が、突然がくりと折れた。
「九ちゃん!」
思わず九龍を支えてやりたくなったものの、生憎手が塞がっていた。
だが、それで良かったのだろう。
俺に支えられるなど、九龍にとってはありがた迷惑なことに違いない。
蹲った九龍を、阿門が見下ろす。
「……お前の仲間には俺から説明しておく。どちらにせよ、その状態では役に立たん」
「……」
九龍は唇を噛んで俯いた。
顔色が悪い。
責任感の強い男だから、悔しいのだろう。
だが今は阿門の指示に従う他無かった。
阿門は俺の手から白岐を受け取り、抱き上げた。
白岐の長い黒髪が、阿門の黒いコートに溶ける。
そしていつもの無表情なままに言った。
「……葉佩。お前には礼を言わねばなるまい」
九龍の表情が幾分和らいだかのように見えた。
阿門の視線が俺に戻る。
「それから皆守……お前にも」
「……よせよ」
殊勝なお前など見たくはない。
それに結局俺は何の役にも立てなかった。
阿門は僅かに笑んで、コートを翻した。
「行くがいい」
黒いシルエットが立ち去っていく。
俺と九龍だけが、その場に残された。
阿門の柄にも無い気遣いが恨めしかった。
どうすればいい。
どんな顔をしてみせればいい。
「……俺に支えられるのは嫌か」
辛うじて出たのは、そんな情けないセリフだった。
九龍は弱々しく首を振る。
俺は少しだけ安堵して、九龍の腕を肩に回した。
それからの俺達は何も喋らなかった。
夜が明け始める。
案の定、生徒は悉く墓地に向かったらしく、たいした人目もなく寮の部屋まで辿り着くことが出来た。
部屋の中はまだ薄暗い。
九龍をベッドに座らせ、邪魔な武器を床に置く。
重いベストを脱ぐのに手を貸すと、九龍が小さく「ありがとう」と呟いた。
「……じゃあ、俺は行くぜ」
何かを言わなければならないと分かっていながら、何も言えなかった。
疲れ果てている九龍の傍にいてやりたかったが、今の俺はそんなことをしてやれる立場に無い。
後ろ髪を引かれながら背を向けた俺に、九龍の声が突き刺さった。
「……残念か?」
足が止まる。
振り返ることは出来なかった。
「死ねなくて、残念だったか?」
嫌味を言っているわけではないと、その柔らかな口調が教えていた。
けれど俺には答えられない。
俺の犯した罪、九龍への裏切り、死を選ぼうとしたこと。
全てが綯い交ぜになって、俺の思考は停止していた。
「……甲太郎」
そして、審判が下る。
「逃げるのは、もう終わりにしよう」
―――そうか。
お前は初めから、全て分かっていたんだな。
俺が生徒会の副会長であることも、弱い心を抱えて何かから逃げていることも全部。
やっぱりお前は凄い奴だよ。
そのうえで俺が傍にいることを許してたんだから。
そうだ。
俺はただ逃げていた。
何もかもが虚しく映る日々の中、がむしゃらに生きるなど面倒で無様なことだと思っていた。
だけど本当は自信が無かっただけなんだろう。
自らの手で選び取り、自らの足で歩むことが怖かったのかもしれない。
とにかくあの女が死を持って教えようとしたことから、俺はずっと目を背けて生きてきたんだ。
そして俺は罪を犯した。
もう取り返しようも無かった。
前を向いて生きることも、罪を罪として背負いながら生きていくことも考えられず、全てを忘れることを選んだ。
もう、何もかもが嫌だったんだ。
そんな時、お前が現れた。
お前は俺と正反対の男だった。
自由で、激しくて、求めるものを手に入れる為なら自分が傷つくことさえ厭わない。
恐怖すら強さに変えて、ひたすら前に突き進む。
そんなお前と対峙することで、生徒会の連中は自らの弱さを乗り越える力を得ていった。
だけど俺は―――。
そう、お前に入れ込みすぎたんだ。
お前を騙しているという罪悪感。
弱さを知られることへの恐怖と羞恥。
そんなものが日を追って、俺の中で膨らんでいった。
だから墓の呪縛から解放されても尚、俺は逃げようとしたんだ。
最後の最後に、最も卑怯な方法でもって。
それがあの女を二度殺すことになるのだとも気づかずに。
ベッドが軋む。
衣擦れの音と気配がする。
「……怖いか?」
振り返ると九龍は身を乗り出し、立ち上がろうとしていた。
「おい……!」
前のめりに倒れかけた体を、再び支える。
吐息さえ掛かりそうな距離から、九龍は俺をじっと見つめていた。
どうしてそんな目で俺を見る?
そんな悲しそうな目で。
「甲太郎……」
九龍の体が微かに震えている。
いや、震えていたのは俺の方かもしれない。
すがりついた九龍の手が、俺の腕に強く食い込んだ。
「甲太郎……俺はお前を信じている。お前が呼べば、地球の裏側からだって駆けつける。
俺はお前を愛している」
淡々と告げるその瞳に、涙が浮かぶ。
視線が外せない。
お前からは逃げられない。
「それでもまだ、お前は怖いか?」
瞬きと共に零れた雫。
「俺が……いるのに……ッ」
悔しそうに吐き出された言葉。
俺の胸に額を押し付けて、九龍は泣いていた。
匂うはずのないラベンダーの香りがする。
それが肩を震わせている九龍の体から香っているのだと気付いたとき、
俺はあの女の言葉を思い出した。
―――あなたは、ひとりではないのだから……。
ああ、どうして俺はこいつを残して死のうなんて思えたんだろう。
九龍の涙がまるで恵みの雨のように、俺の中に染み渡る。
枯れ果てた荒地に降り注ぐそれは、どこまでも優しくて暖かかった。
「九ちゃん……悪かった……。だから泣くな……」
俺は九龍の髪を撫でた。
今まで一番、九龍を近くに感じた。
「泣いてなんか、ねぇよ……」
九龍は拳で目元を拭うと、ゆっくりと顔を上げた。
「甲太郎……お前は、大丈夫だって。なんたってこの俺が惚れた男だもん。きっと大丈夫」
涙の残る目でそう言って、穏やかに笑う。
こんなになってもまだ俺を励まそうとする九龍の優しさに胸が痛んだ。
俺にその優しさを受けるだけの価値が、本当にあるのだろうか。
「……そんなこと言っていいのか? 人間なんてそう簡単に変われるもんじゃない。きっと俺も」
「いいんだよ、それで。変わる必要なんてない。
自分が本当に欲しいものを認めるだけで、それだけでいいんだよ」
「……」
俺が本当に欲しいもの。
自由が欲しかった。
自由になれるだけの自信が欲しかった。
だけど今、俺の手の中には何も無い。
それが俺に与えられた罰なのか。
「どうしてお前は……そんなに強くなれる」
お前だって傷ついたろうに。
俺がお前を傷つけたんだ、そうだろう?
それでもそうやって笑えるのは何故なんだ。
傷つくことから逃げてばかりいる弱い俺に、教えてくれないか。
九龍は困ったように、首を傾げる。
「強いとか弱いとか、よく分かんねー……。ただ、好きな人には幸せでいてほしい。それだけだよ」
そう言って九龍は何故か、少しだけ寂しそうに笑った。
「九ちゃん、俺は……」
そうだな。
お前を守ってやりたいと思っていたはずなのに、結局俺は自分のことしか考えていなかった。
俺が死に損なったことでお前が笑ってくれるなら、助かった甲斐もあるってもんだろう。
ついでにもう少し、まともに生きてみるのも悪いことじゃないはずだ。
そんな風に思える自分が信じられなくもあったが、九龍の涙にはそれだけの力があった。
頬に残っている涙の跡を親指でなぞる。
九龍はくすぐったそうに首を竦めて、俺をからかうように言った。
「甲太郎……キスしたそうな顔してる」
それはいつもの挑発だった。
だけどお前はずっと本気だったんだろう?
俺もそれを知っていて、適当にいなしてきた。
お前の気持ちからも逃げてきた。
だから今回ばかりは素通りしたくなかった。
俺は息を深く吸い込み、思い切って口にした。
「……分かったか?」
俺の反応は九龍の予想を裏切ったらしく、九龍は一瞬目を丸くした。
それから、照れたように俯く。
「うん……分かった」
「そうか。なら……」
肩を抱く。
額と額を付き合わせる。
本当にいいんだな。
俺はお前に触れても。
自分がみっともないほどに震えているのが分かる。
まったく、カッコ悪すぎるぜ。
だけどもう抑えられない。
カッコ悪くたって構いやしない。
「……お前の強さ、分けてくれるか」
頷く代わりに目を閉じた九龍の体を抱き締めた。
唇までの距離が酷く遠く感じた。
本当はずっとこんな風にお前に触れたかったんだ。
許されるはずなどないと思いながら、俺は狂いそうなほど望んでいた。
瞼の裏にあの女が浮かんで、消えていく。
彼女は確かに笑っていた。
今度こそ絶対に失くしたりしない。
俺の大切な「宝」。
溶け合う熱も、重なる鼓動も、忘れられるはずがない。
お前の流した涙は、俺の中に今でも残っている。
だからお前と遠く離れても、俺は俺でいられるだろう。
九龍、お前の為に。
そして何よりも、俺自身の為に。
- end -
2005.01.25
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