わかってない


気になってはいた。

毎晩恒例の夜遊び勧誘メールが来る時刻、俺の携帯はウンともスンとも言わなかった。
たまには俺以外の奴を誘うこともあるだろうと思いつつ、 今までにあいつがそうしたことは一度も無いという事実が引っかかる。
部屋にいるならいるで何かしらちょっかいを掛けてくるはずなのに、今夜はそれも無かった。
本当に気になるなら部屋に行ってみるとか、メールをしてみるとか、 確認する手段は幾らでもあったのに、敢えてそれをしなかったのは単なる意地だ。
携帯の時計は午前0時5分を表示している。
俺は部屋の電気を消す為に立ち上がった。
そしてドアの傍にあるスイッチに手を伸ばしたとき、小さなノックの音が響いた。
「甲ちゃん、開けて〜……」
うんざりすると同時に、ほんの少し安堵したのも悔しいが本当だった。
その当てつけに、俺はドアを閉めたまま答える。
「俺は今まさに寝ようとしていたところだ。用があるなら明日の朝にしろ」
「そんなこと言わないでさぁ……」
声が妙に弱々しいのが気になったが、それでも部屋に入れる気にはならなかった。
「俺は知ってる。お前が俺をちゃん付けで呼ぶときには、ロクなことがない」
「……よくお気づきで」
よくお気づきで、じゃねぇよ。
こういう時は大抵、面倒な思いをさせられるんだ。
俺はドアを軽く叩き返した。
「そういうことだ。じゃあな。いい夢見ろよ」
返事は無かった。
この程度で九龍があっさり引き下がるとも思えない。
息を潜めて耳をドアに近づけると、声が僅かに遠ざかっていくのが分かった。
「……頼むよ、甲太郎……痛い……」
「……九ちゃん?」
普通じゃない。
慌ててドアを開けると、薄暗い廊下にご丁寧に救急セットを抱えた九龍が蹲っていた。

ベッドにうつ伏せになった九龍の背中には、焼け焦げたような傷があった。
誰も誘わずひとりで墓に潜った挙句、化け物に不意打ちを食らったらしい。
いつも俺が一緒だったから計算が狂ったという言い訳に、心の中でざまあみろと笑う。
「……で、どうしてひとりで行ったりしたんだ」
「……」
傷に消毒薬を垂らすと、九龍の体が一瞬びくりと跳ねた。
冷たかったのか、沁みたのか。
俺の質問に答える様子の無い九龍に苛立つ。
「おい、九ちゃん」
「ちょっと……考えるところがありまして」
ふざけた口調に苛立ちが増した。
「真面目に答えろ」
脅しをかけると、九龍は漸くぽつぽつと話し始めた。
「……そもそもが、ひとりでやらなきゃいけない仕事なんだよな。 素性は誰にも知られちゃいけないってのがお約束だし」
脱脂綿で血と砂にまみれた傷痕を拭う。
怪我人の手当てなんぞしたことがないからよく分からない。
とりあえずあんな場所で負った傷だ、どんな菌がついているか分かったもんじゃない。
消毒さえ念入りにしといてやればいいだろう。
「みんなが俺に協力してくれるのはすごく嬉しいんだけど……。 こんなに甘えてばっかりじゃ、これから先が思いやられるだろう? いくら新米ハンターだからってさ」
汚れた脱脂綿を捨てる。
後は何か貼っておけばいいのか?
それとも薬か何か塗っておいたほうがいいんだろうか。
救急セットの中にそれらしいものが無いか探しているとき、九龍がためらいがちに呟いた。
「それに……本当は怖いんだ」
「怖い?」
俺は手を止めて聞き返した。
「うん……。取手とかリカちゃんとか、せっかく大切なものを取り戻してこれからって時に 何かあったら……取り返しがつかないじゃないか」
またひとつ傷の増えた九龍の背中を見つめる。
九龍の優しさが、今はただ腹立たしかった。
自分自身が取り返しのつかないことになったらどうするつもりなんだ。
もう少し自分を大事にしろっての。
結局、薬らしきものは見つからなかった。
ガーゼを適当な大きさに折り畳んで傷の上に乗せ、テープで止める。
「……みんな、自分の意志でお前に協力してるんだ。何かあったとしても、誰もお前を責めたりしないさ」
「分かってるよ。分かってるけど……」
九龍は抱きかかえていた俺の枕に、顔を伏せた。
「俺のせいで誰かが傷つくのはイヤなんだよ……」
「……」
他の誰かが同じセリフを言ったなら、この偽善者めと舌打ちしていたかもしれない。
けれど九龍は恐らく、本気でそう思っている。
馬鹿な奴だ。
終わったぜ、と声を掛けると、九龍はのっそりと起き上がった。
ありがとうと言いながら、Tシャツを被る。
俺は九龍に背を向けてベッドに凭れると、アロマに火をつけた。
「……お前の気持ちも分からなくはないがな。少なくとも俺にそういった気の遣い方をするのはヤメロ。かえって気分が悪い」
「甲太郎……」
突然、首に腕が回される。
ぐいと引き寄せられ、息が詰まった。
「お、おいっ。苦しいだろうが」
「甲太郎……大好き」
首筋に顔を埋めた九龍の声は、耳のすぐ傍で聴こえた。
熱を帯びたそれに、鼓動が僅かに速まる。
「……ふざけてないで、さっさと自分の部屋に戻って寝ちまえよ」
「ふざけてなんてないよ」
腕の力が増す。
まるでしがみつくように。
「俺、甲太郎のことが好きだ」
「……分かったよ」
「本当に好きだよ」
「分かった。分かったから何度も言うな」
これ以上は心臓に悪い。
引き剥がそうと九龍の手を掴んだとき、九龍は押し殺した声で呟いた。
「……分かってないよ」
思わず、手が止まる。
「甲太郎は分かってない」
「……」
掴んでいた手を離す。
そうだった。
俺はお前に触れちゃいけない。
俺にはお前の気持ちに答えてやれるだけの資格が無かったんだ。
背中を覆う温もりに、それを忘れそうになってしまった。
「……そうだな」
分からないさ。
どうしてお前がそんなことを俺に言うのか。
罪を犯して、その罪から逃げて、お前さえも騙しているようなこの俺に、 どうしてお前はそんなことを言うのか、俺には分からない。

だけどお前だって分かってないだろう?
今、俺が何を考えているのか。
振り向いて、お前を抱き締めて、お前にくちづけたいと思っていることなんて、お前は知らない。
その想いにどれだけ俺が苦しめられているか、お前はちっとも分かってない。
分かってないんだ。

- end -

2005.01.11


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