耽溺サバイバル
シャワーから出る水が、お湯になるまでの時間が嫌いだ。
たいした長さじゃないが、たまらなく無駄に感じる。
ノズルをフックに掛けると、水流は激しい音を立てて床を叩き、狭いバスルームはあっという間に乳白色の湯気で満たされた。
滝に打たれる修行僧のごとく、頭上から降り注ぐその中に俯いて立つ。
ここで両脇からぐるぐる回る巨大なブラシが登場して、洗車みたいに勝手に洗ってくれやしないだろうかと考えた。
要するに、髪や体を洗うのが面倒臭かった。
いや、何もかもが面倒臭い。
だからといって、いつまでもこんな風に突っ立っていても仕方が無いということは分かっていた。
濡れた顔を両手でひとしきり擦ってから、シャンプーを取ろうと腰を曲げた瞬間。
「おーっす!」
「―――?!!」
いきなりドアが開いたと思うと、そこには満面の笑みを湛えた九龍が仁王立ちしていた。
「なっ……なんなんだ、お前は!」
「あれっ、久し振りに会えたのにそんな反応?」
慌ててシャワーを止め、濡れた髪をかき上げる。
一ヶ月ぶりに見る九龍は日に焼けていて、髪も少し伸びていた。
着ているシャツに見覚えがある。
無くなったと思っていた、俺の物じゃないか。
と、そんなことはどうでもいい。
「バカ、驚くに決まってるだろうが! つーか、どうやって入ってきた!」
鍵は締めてあったはずだ。
合鍵は渡していない。
渡そうとはしたが、失くしそうだからと断られたのだ。
九龍は平然と答える。
「やだなぁ。俺の職業、忘れちゃったの?」
「……」
宝探し屋と泥棒は紙一重だと、つくづく思った。
シャワーの音に消されて、入ってきたことに気づかなかったらしい。
こいつは、いつもこうだ。
帰ってくるなら、どうして一言連絡を入れてこない。
最低でも週に一度ぐらいはメールを寄越せと言っているのだが、その要求が満足に叶えられたことなどほとんど無かった。
まだばくばくいっている胸を押さえながら、俺は九龍を睨みつける。
「とにかく、そこ閉めろ。すぐ出るから」
全裸でずぶ濡れの、こんな状態じゃ話も出来やしない。
しかし九龍はその場を動かないどころか、いきなり服を脱ぎ始めた。
「なにやってる!!」
「え、俺もついでにシャワーでも浴びようかと思って。疲れてるし」
「俺が出てからにすればいいだろ!」
「いいじゃん、別に知らない仲でもないんだし」
喋っているうちにも九龍はぽいぽいと服を脱ぎ捨て、
あっという間に真っ裸になると、狭いバスルームに入ってきてドアを閉めた。
久し振りに見る九龍の体に、胸の奥がざわつく。
「だから……」
「ただいま、甲太郎」
そう言って、九龍は俺の唇に触れるだけのキスをした。
「お背中、流しましょうか?」
「……」
俺がたじろいでいることに気づいていながら、からかってやがる。
だいたい俺がどんな思いで、毎回お前の帰りを待っているか分かっているのか。
いつも唐突にやってきては、またすぐに飛び出して行っちまうくせに。
無邪気に笑っている九龍の顔を見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。
「……いや、俺がやってやるよ」
「え」
九龍の肩を掴んで、強引に後ろを向かせる。
少し慌てているようだったが、構わず背中から抱き締めた。
陽射しの匂いがする髪に、顔を寄せて囁く。
「帰ってくるなり、こういう態度に出るとはな。そんなにしてほしかったのか?」
「え、ちが」
「お望みどおり、満足させてやるよ」
「……っ」
囁きながら耳朶を軽く噛むと、九龍がぴくりと体を震わせた。
自分でこんなシチュエーションを作っておいて、ただで済むと思ったら大間違いだ。
片手で胸の突起を探りながら、まだ柔らかい前に触れた。
九龍が早速、甘い声を上げる。
「あ…っ……は……」
俺の濡れた手の中で、それはみるみる形を変えていく。
九龍は出来るだけ声を抑えようとしていたようだが、バスルームの中では無駄な努力だった。
弾み出した呼吸音と共に、微かなエコーの掛かった喘ぎはしっかりと俺の耳に届いていた。
この時ばかりは、軽い優越感を覚える。
たとえそれが一時的な錯覚でしかないとしても、
俺の腕の中で、俺の行為に翻弄されている姿を見ると、まるで九龍が自分の物になったような気がした。
やがて壁に手をついて前傾姿勢になった九龍の背に、俺は覆い被さるようにして、手の動きを速める。
「甲太郎、こそ……俺がいなくて、寂しかっ、たんだろ……」
「ああ、そうだな。誘われて嬉しいぜ」
尻を突き出して、膝を震わせながら、それでもまだ余裕があるかのように九龍は振舞う。
だが、そんな口が利けるのも今のうちだ。
首筋に舌を這わせながら、先端の亀裂を抉るように擦る。
ついでに乳首を捻りあげてやると、九龍は堪らないといったふうに頭を左右に振った。
「…やっ…あ……ああっ……」
「気持ちいいか?」
「う……」
そのとき俺は九龍の腕に、また新しい傷が増えていることに気づいた。
十センチほどはあるだろうか。
縫合した跡もまだ生々しく、俺は思わず舌打ちした。
―――俺のいない所で、怪我なんかしやがって。
こんなときは己の無力さを痛感する。
一緒に連れて行けと、言い出せない弱さ。
まだ言えるはずもないという自覚。
さっきの優越感はあっさりと消え失せて、激しい苛立ちに襲われた俺は、九龍の中心を滅茶苦茶に扱いた。
初めから濡れていたはずの掌は、九龍の出した雫を加えて卑猥な水音を立てる。
「うあ……っ! ダ、ダメだって!」
九龍は慌てて俺の手を掴んで、必死に止めようとした。
「だったら、どうして欲しいのか言ってみろよ」
「なんだよ……なんで今日は、そんな意地悪」
「いいから、言え」
「……」
前を押さえながらふくれっ面をしている九龍は、まるでトイレに行くのを我慢しているガキみたいだ。
肩越しにその顔を覗き込み、唇を奪う。
舌を絡ませると、九龍が短く荒い息を吐き出しながら喉の奥で喘ぐ。
「ん…っ……ふ……」
「ほら……早く、言えよ……」
くちづけの合間にも急かすが、九龍はなかなか俺が望む言葉を口にしない。
肝心なところだけは、絶対に譲らない男だ。
仕事をする上ではそれだけ信用出来る人間だということになるのだろうが、こんなときまでその長所を発揮するのはやめろと言いたい。
しかも今度は九龍の手が、俺の方へと伸びてきた。
「……! こら……よせ…っ」
「自分こそ……ヤバイんじゃないの……?」
チクショウ。
ふざけやがって。
心の中で毒づいても、せり上がって来るものを止めることは出来ない。
この感覚が久し振りなのは、俺も同じだったのだと思い知らされる。
このままではマズイ。
醜態を晒すことになるかもしれない。
焦った俺は、抱えていた九龍の身体を更に引き寄せた。
「おいっ……早く、入れさせろ……」
背に腹は代えられない。
とうとう根負けした俺に、九龍がにやりと口元を歪めた。
「甲太郎の……負け……」
勝ちも負けもあるか。
頬を上気させて、目まで潤ませているくせに、心底憎たらしい奴だ。
俺は舌打ちしながら九龍の体を突き放すと、その双丘に手を掛けた。
「あっ! あ、あぁっ……!」
まだ慣らしてもいない場所に、無理矢理自分を捻じ込む。
九龍の手が縋るものを探して濡れた壁を滑り、シャワーのコックに当たった。
ノズルから勢いよく水流が迸って、俺の頭に降り注ぐ。
「っぐ……この……」
目を開けていられない。
鬱陶しいなんてもんじゃなかったが、この際どうにでもなれという気分だった。
俺が奥を突くたびに、九龍が声を上げる。
いつもより派手に喘いでいる気がするのは、シャワーの音に紛れて遠慮が無くなったせいか、それとも久し振りなせいか。
どちらにせよ俺も九龍も長くは持ちそうにない。
喧しい水音を立てながら、俺は九龍をひたすら貫いた。
「ちょ……甲太郎っ……激しすぎ……ッ…!」
「うるせ……っ」
「……あ……ヤバイ…も……あッ……あぁッ……!!!」
九龍の背中がびくりと反り返ると同時に、強張った体が俺自身をきつく締め付けた。
「くっ……!」
全身が震える。
俺は九龍を後ろから抱きかかえたまま、放出の快感に身を任せた。
傷だらけの背中にくちづける。
バスルームの床に飛び散ったものは、あっという間に排水溝へと流されていった。
そもそも俺はシャワーを浴びて、さっぱりしたかっただけのはずだ。
それなのに、どうしてこんなに疲れなきゃならない。
疲労の原因を作った張本人は、ベッドの上で早くもうとうとし始めている。
「おい、九ちゃん。今回はいつまでいるんだ」
ベッドの縁に腰掛けて尋ねた。
「ん〜……いつだっけ……?」
俺に聞くな、俺に。
どうやら、今は何を聞いても無駄なようだ。
まだ濡れている髪を撫でると、九龍は目を閉じてうっすらと笑みを浮かべる。
「甲太郎……」
「あ?」
「愛してる」
「……なんだ、寝言か」
わざと言った俺の言葉にフフと笑い声を漏らすと、九龍は眠りに落ちていった。
今の俺にとっては『愛してる』なんて言葉より、『ただいま』の方が重要なんだ。
そこのところを分かってるのか?
分かってないだろうな。
まあ、どっちでもいい。
今、お前はここにいる。
「……愛してなくてもいいから、次もちゃんと帰ってこいよ」
そう呟きながら、寝息を立てる九龍の頬にくちづけた。
- end -
2007.02.26
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