Second Snow
階段を上るけたたましい足音がして、アパートのドアが乱暴に開いた。
「甲太郎、雪降ってきた! 雪!」
コンビ二から戻った九龍は、興奮した様子でそう喚き散らす。
俺は読んでいた雑誌から目を上げることもせず、「ふうん」とだけ答えた。
「なんだよ、それだけー?」
だったら俺も一緒になって、はしゃげばいいとでも言うのか。
雪なんて見たくもない。
今日は夕方から雪になるだろうと、天気予報で聞いたときから憂鬱だった。
もしかしたら九龍はそれを分かっていて、昨日の朝いきなりここにやってきたんじゃないかと思ったぐらいだ。
「それより、もう少し静かにしろと何度言ったら分かる」
「あっ、そうだった。ごめん、ごめん」
安普請のこの部屋は、あの頃暮らしていた寮の一室とさほど変わらない。
いや、それ以下か。
隣りの話し声や物音が聞こえてくることは珍しくもなかったが、一人で暮らすには充分だった。
九龍は缶コーヒーとカレーパンの入ったコンビニの袋をテーブルの上に放り出すと、カーテンの隙間に顔を突っ込んだ。
「ほら、甲太郎! 雪だってば!」
まだ言うか。
いつまでも知らんふりを決め込んでいる俺に、九龍もさすがに業を煮やしたらしい。
俺の傍までやってくると、懇願するように言った。
「見ようよ、雪。な?」
「……」
多分、九龍は分かっているのだ。
俺が雪など見たくないと思っている事を。
俺は雑誌を閉じてしぶしぶ立ち上がり、九龍と一緒に窓辺に立った。
窓ガラスを通り抜けて伝わってくる冷気を、頬に感じる。
しかし暗い街に降る雪ははらはらと頼りなげで、今にも止んでしまいそうな程度だった。
「積もるかな?」
「積もらねぇよ」
「だよなぁ」
九龍と見る、二度目の雪だ。
嫌でもあの日のことを思い出してしまうのは分かっていた。
だから見たくなかった。
本気で死を覚悟したあの日。
九龍に全てを曝け出したあの日。
俺は暗い墓の下から引き摺り出され、自分の弱さと犯した罪に向き合うことを強いられた。
あの日から、俺も少しは変わったのだろうか。
自分ではよく分からない。
だが、アロマを吸うことが少なくなったのは確かだった。
ラベンダーの香りは今でも好きだったが、それで何かを誤魔化すようなことは無くなった。
どうしても吸いたくなるのは、九龍からの連絡が長く途切れた時ぐらいだ。
「……二度目、だな」
九龍が呟いた。
俺と同じ記憶に、想いを馳せていたのだろう。
九龍は変わらない。
変わらずに自由だ。
けれど俺にした約束だけは、忘れていなかった。
何処にいても、何があっても、俺のことを想っていると言った言葉。
九龍は仕事の合間を縫って、こうして俺の元へ戻ってくる。
僅かな時間を割いて、俺達は互いの気持ちを確かめ合う。
俺はいつまでも雪を眺めている九龍の肩を抱き寄せた。
「おい。もう、いいだろ」
「えー?」
「雪なんかよりも、俺を見ろよ」
「……なに、言ってんだか」
九龍は、くすくす笑いながらこちらに顔を向ける。
俺はその柔らかな唇に、口づけた。
九龍と見る、二度目の雪。
それは初めての日とはまるで違う、優しい雪だった。
- end -
2006.12.14
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