最高のシナリオ


まず間違いなく奴がいるだろうとは思っていたが、あまりに予想通りだとかえって腹が立つというものだ。
屋上のその場所は俺の指定席だったはずなのに、最近は俺より先に来て陣取っていやがることもしばしばだから性質が悪い。
しかも俺が近づいても無反応とはどういうことだ。
顔も上げやしない。
こいつのことだから俺が屋上への扉を開けた時点でもう気づいているはずなのに、 九龍はH.A.N.Tとかいう機械の画面をじっと見つめたままだった。
昼休みまで仕事のことで頭が一杯とは、たいしたもんだ。
ムカついたので、絶対にこちらからは話しかけないと心に決めた。

隣りに腰を下ろし、アロマに火をつける。
寒いが、いい天気だ。
視界の端に映る九龍が、手にしているジュースのパックを口元に運んでいる。
パックの表面には擬人化された不気味なミカンの絵と、『果汁1%未満』の文字が恥ずかしげもなく書かれていた。
そんなんでよくオレンジジュースを名乗らせる気になるものだと思う。
せめてオレンジ風ジュース、ぐらいにしておけばいいものを。
九龍の唇が窄まり、ストローが微かにオレンジ色に染まる。
そしてまた白く―――。
「……甲太郎」
「あ?」
不意に声を発した九龍は、相変わらず画面を見つめ続けたままだった。
「クエストの依頼ひとつ残ってたんだけど、今晩つきあってもらってもいいかな?」
「……別に構いやしないが」
俺は何故か違和感を覚えた。
ああ、そうか。
「……なにか心配事でもあるのか?」
確か俺はこいつに腹を立てていたんじゃなかったか?
それでも思わず尋ねてしまった自分に、心底がっかりした。
九龍はやっぱり顔も上げず、口先だけで答える。
「え? なんで? なにが?」
「いや……やけに控えめな頼み方をするからな。いつもならついてくるのが当たり前だと言わんばかりのくせに」
いつだって「今日も行くから!」の一言で、有無を言わさずつきあわされるというのに、 どうして今日に限ってお伺いを立てるような口振りなのかが気になったのだ。
しかしそんなものは俺の考えすぎだったらしい。
「ああ、だってもうすぐ試験だろ? 他の奴誘ったら悪いかなって……」
俺はすかさず九龍の頭を拳で殴りつけた。
「痛!! なんで殴るんだよ?!」
「お前、俺には悪くないとでもいうのか!?」
「えー、だって……」
九龍は漸くこちらを向くと、
「甲太郎の場合は、誘わないほうが悪いかなって」
にっこり笑ってそう言った。
そうだ、こいつはこういう奴だった。
少しでも心配した俺が馬鹿だったんだ。
本当に最低の奴だと思う。
そしてそれに反論できない俺はもっと最低だ。
そして九龍は再びH.A.N.Tに向かう。
「まあ、ここの探索も随分と進んだし……。つきあってもらうのも、あと少しだと思うからさ」
悪いねー、と少しも悪いと思っていないのが丸分かりの、軽い口調で九龍は言う。
そう、確かにあと少しなんだろう。
あと少しで、九龍はきっとあの場所に辿り着く。
そしてその頃には、今奴が見つめている小さな機械の中に、俺のデータが載ることになるのだ。
勿論、敵として。
「……九ちゃん」
「ん?」
「こっち向けよ」
「なに?」
それは、衝動だった。
九龍が顔を上げた瞬間、顎を掴んで引き寄せた。
ぶつけるように唇を塞ぎ、舌を捻じ込むと、柔らかな皮膚に包まれた奥を性急に探る。
絡め取った九龍の舌がひんやりと冷たかったのは、さっきまで飲んでいたオレンジジュースのせいだろう。
九龍は抵抗しない。
いや、出来なかったのか。
やがてゆっくりと唇を離すと、九龍は真ん丸い目を見開いたまま、呆然と俺を見つめていた。

「……じゃあ、後でな」
立ち上がり、九龍に背中を向ける。
早いところ寮に戻って、今のうちに眠っておくとしよう。
九龍が後ろで叫んでいる。
「なっ、なんなんだよ、甲太郎!!! どういうつもりだ、今のー!!」
振り返らないまま、手を振った。
俺がどういうつもりか、どうせお前は嫌でも知ることになるんだ。
その日まで俺は、お前にとって最高のバディであり続ける為の努力を惜しまないだろう。
そしてお前は裏切られる。
他でもない、この俺に。
そうすればお前はこれからも続く宝探し屋としての人生の中で、初めての仕事で得た俺という最高で最悪のバディを、幾度も幾度も思い出すはめになるに違いない。
我ながら、惚れ惚れするような筋書き。
最高に陳腐なシナリオ。

俺はアロマを深く吸い込み、唇に残るオレンジの香りをかき消した。

- end -

2006.08.07


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