守ってやる


昼休みまで探索に付き合う気は無い。
そう言うと九龍は少ししょげていたが、あれは絶対にわざとだ。
気にする必要も無かった。

屋上への扉を開けると、頭上に晴れた秋空が広がる。
解放されたような気分になれるのはほんの一瞬だ。
閉塞感はすぐに追いかけてくる。
ポケットからジッポを取り出し、アロマに火をつけようとしたときだった。
「なんだ、キミだけか」
背後から聞こえた声に、思わず眉を顰める。
その粘着質な声には聞き覚えがあった。
振り返り、睨みつけた先には、案の定つい最近やってきた「もうひとりの転校生」が立っていた。
やあ、という馴れ馴れしい挨拶とは裏腹に、親しみの欠片も感じさせない男だ。
関われば、不快な思いをするのは目に見えている。
だから返事もせずに、ただ溜息を吐いてやった。
「……クラスメイトに、随分と素っ気無いんだなぁ」
そう言いながらも、喪部が何処か面白がっているのが声音から分かった。
アロマに火をつけ、ラベンダーの香りを深く吸い込む。
喪部が気取った仕草で前髪を靡かせるのが、視界の端に見えた。
本当にいけすかない男だ。
「まあ、いいさ。ボクはキミに用は無い。葉佩は何処だい? キミなら知っているだろう?」
癇に障ったのは用が無いと言われた所為ではなく、九龍の名前が出たからだった。
あいつに何の用があるというのか。
「……知らねぇな。俺はあいつの保護者じゃない」
知っていても教える気は無いがな。
心の中で付け足す。
喪部はフンと鼻を鳴らした。
「そうか。じゃあ、他を当たるよ」
「……」
九龍を探しに行く気なのか。
そう思った途端、今度はこっちが喪部を引き止めていた。
「おい」
喪部は足を止め、肩越しに少しだけこちらを振り返った。
「……お前、何者だ」
その問いに、喪部は何故か可笑しそうに笑う。
喉の奥だけで笑う、その笑い方は、何度聞いても虫唾が走った。
鬱陶しそうな前髪を翻しながら、喪部がこちらを向く。
結局自分から関わってしまったことを、俺は少しだけ後悔していた。
喪部は妙に嬉しそうに答えた。
「キミがそれを聞いてどうする? 知ったところでどうすることも出来ないさ。 所詮、キミとボクとでは住む世界が違う。勿論―――キミと葉佩もね」
自分で言った言葉に酔っているのか、喪部は肩を揺らしながら更に続ける。
「どうして葉佩がキミみたいなつまらない奴とつるんでいるのか不思議だよ。 キミのような、まったく役に立ちそうもない人間とさ。それとも葉佩がその程度だということなのかな?」
「……」
喪部が喋るたびに口元のピアスがゆらゆらと揺れて、見ているこっちがむず痒くなってくる。
よくも気持ち悪くないもんだ、とどうでもいいことを思った。
恐らく、この男は九龍の同業者なのだろう。
それぐらいは予想がついた。
しかも何処か敵意を感じる。
九龍はこの男について何も言わないし、話しかけられれば普通に接している。
誰にでも愛想がいいのは九龍の長所でもあり短所でもあるが、 喪部に関してのみ言えば、九龍の警戒心が足りないように思えて仕方が無かった。
「じゃあ、ボクは行くよ。時間の無駄だったな」
好き放題言いやがって。
俺と九龍の住む世界が違うことぐらい、お前なんぞに言われなくても分かってるんだ。
苛立ちはいつの間にか、怒りへと変わっていた。
「……待てよ、キザ野郎」
「……なんだって?」
喪部の反応は、確かにさっきとは違った。
振り返ったその顔に笑みは無く、突き刺すような視線を向けてくる。
その目を見て、確信した。
この男は―――危険だ。
「お前がこの学園で何をしようと勝手だ。だがな、ひとつだけ言っておくぜ」

「―――九ちゃんに何かしてみろ。俺はお前を許さない」

「……クククッ」
喪部の口元が、いやらしく歪んだ。
「許さなくてどうするっていうんだい? キミなんかに何が……ッ?!」
喪部が言い終わらないうちに、俺は右足を蹴り上げた。
当てる気は初めから無い。
風圧で喪部の体が、僅かに後方によろめいた。
「……あいつは、俺が守る」
「……なるほどね」
喪部はまた喉の奥で笑った。
「分かったよ。もしも葉佩が逝くときは、キミも一緒に逝かせてあげよう。それまで、せいぜい友達ごっこを楽しむんだね」
「……」
そのとき屋上の扉が、ぎぃと音を立てて開いた。
「……なに、してんの?」
能天気なセリフと共に九龍が姿を現す。
険悪な空気がほんの少し和らいだ。
「やぁ、葉佩。キミに会いたかったんだ。調子はどうだい?」
喪部は何事も無かったかのような顔をして、軽い口調で九龍に尋ねた。
「え、まあ、ぼちぼちかな」
「そうかい。本当はキミとゆっくり話をしたかったんだけど……」
一瞬、喪部がこちらに視線を寄越した。
「今日のところは遠慮しておくよ。また機会があれば」
「はぁ」
「……」
去っていく喪部の後ろ姿を見送りながら、九龍は「なんだ、ありゃ」と呟いた。

いつもの場所まで移動して、コンクリートの上に腰を下ろす。
九龍が買ってきたカレーパンを、二人で頬張った。
「なぁ、喪部となに話してたの?」
「……別に」
「ふぅん」
「……」
風が冷たい。
鉄柵の向こうに見える分断された街並みが、遠い国のように感じる。
どうして俺は此処にいるんだろう。
どうして俺はあんなことを言っちまったんだろう。
隣りにいる九龍の横顔を見た。
なにが宝探し屋だ。
こんな間抜けな面した宝探し屋なんているのか。
口の端っこにカレーつけて、幸せそうな顔でカレーパン食ってる宝探し屋なんて本当にアリなのか。
全部、嘘なんじゃないのか。
こいつを守る―――だって?
お笑い種だ。
俺は九龍を裏切るのに。
ああ、だけど。
俺は本気でそう思っている。
せめてその時までは、と。
「……九ちゃん」
「ん?」
「あいつには気をつけろ」
「あいつって?」
「喪部だよ」
しかし九龍は事も無げに微笑んだ。
「大丈夫だよ」
「あのな、俺は真面目に……」
「だって甲太郎、守ってくれんでしょ?」
「……!」
聞いていたのか。
声を上げて笑う九龍の横で、俺はただ頭を抱えるしかなかった。
ひとしきり笑った後で、不意に真剣な声になって九龍が俺を呼んだ。
「……甲太郎」
額が肩に押し付けられる。
「ありがとう」
「……」
さて九龍の肩を抱くべきか。
きっとそうなんだろう。
そんな気がする。
だから俺はそうした。
頼りにしてるよ、と九龍が言う。
そうだ。
俺はお前を守る。
お前は俺に守られていろ。

まったくお笑い種だ。
だけど俺は本気でそう思っていたんだ。
せめてその時が来るまでは、と。

- end -

2005.03.12


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