Lost the world
地上へ戻った俺達を迎えてくれたのは、凍てついた晩秋の夜空だった。
さっきまで薄暗い墓穴に潜り込んでいた人間にとっては、この街のまばらな星明りでさえ眩しく感じられることだろう。
俺は白い溜息を吐きながら、お世辞にも満天とは言えない星空を見上げた。
「うう、寒ぃ。風邪ひきそうだ」
今夜は冷える。
九龍が身を縮めながら言うと、もう一人のバディである夷澤が、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「センパイ、これぐらいで寒いんすか? そんなひ弱で、よくこんな仕事が務まりますね」
「俺は寒いのが苦手なの。夷澤だって、苦手なものぐらいあんだろうよ」
「オレはそんなもん、ないっすよ」
「嘘つけ〜」
「なんすか、その目は」
前を行く二人のくだらない会話を聞きながら、俺は制服のポケットに手を突っ込む。
肺に溜まった淀んだ空気を、今すぐラベンダーの香りに変えたかった。
しかし指先に触れたのは、愛用のジッポーだけ。
不審に思いつつ、反対側のポケットも探るが見つからない。
あの手に馴染んだ、細く冷たい感覚が得られない。
何処か他の場所に入れただろうか。
あちこち自分の体を触ってみるが、やはり同じことだった。
ヤバイ。
俺は焦った。
「……ん? 甲太郎、どうした?」
俺の様子に気づいて、九龍が振り返る。
それにつられて、夷澤も立ち止まった。
「……無い」
「なにが?」
「アロマが、無い」
「はぁ?!」
厳密に言えばアロマパイプが無い、だったが、恐らくは通じたのだろう。
二人がステレオよろしく、同時に声を上げた。
しかし九龍が単純な驚きの表情を見せたのに対し、夷澤は明らかにくだらないとでも言いたげな顔つきだった。
確かに他人からすれば、それがどうしたという程度の話かもしれない。
だが俺にとっては違う。
アレ無しで一晩過ごせる自信すら、今の俺には無かった。
こういうのを中毒……いや、依存症とでも言うのだろうか。
九龍は心配そうな顔で、俺に近づいてきた。
「無いって……切れたわけじゃなくて、本当に無いのか? どこにも?」
「ああ、無い」
「最後に吸ったのって、どこだった?」
「……あそこだな」
今夜行ったのは、遺跡の動力部と思われるエリアだった。
その最も奥にあった、あの部屋―――ゲームで言えば、ボスキャラが鎮座する部屋だ。
九龍によると、あれは経津主と言うらしいが、あれと戦った時に吸ったのが最後だと記憶している。
俺がそう告げると、真っ先に反応したのは九龍ではなく夷澤の方だった。
「冗談じゃないっすよ。まさかあそこまで、また取りに戻るとか言うんじゃないでしょうね。オレはゴメンですから」
「夷澤……」
「……」
俺だって一人で取りに行けるものなら、そうしたい。
だが最低限、九龍にだけはつきあってもらわなければ、あそこまで辿り着くことは不可能だろう。
しかし、俺にそれを決める権利は無い。
九龍に明日まで我慢しろと言われれば、そうするしかなかったが、
自分からそれを申し出られるほどには、俺にとって軽々しい事態ではなかった。
だから次に発せられた九龍の言葉に、俺は内心かなり安堵していた。
「―――じゃあ、夷澤は先に戻ってて。今夜はありがとう」
九龍が笑顔でそう言うと、夷澤は不満そうな顔をしつつも俺達に背を向けた。
上ってきたばかりの地下に、再度降り立つ。
九龍はまず、改めて装備を整える為、魂の井戸と呼ばれる部屋に立ち寄った。
ここは不思議な部屋だ。
入っただけで傷が癒えたり、寮の部屋と繋がっていたりもする。
いったいどんな仕組みになっているのか、見当もつかない。
九龍はベストに爆薬を詰め込んだ後、腰に挿してあった剣を一度抜いてから、また鞘に収めた。
その後ろ姿を見ながら、俺は九龍に詫びた。
「……悪いな、九ちゃん。面倒なことさせちまって」
「大丈夫、大丈夫。幸い、爆薬は腐るほどあるから」
そんな物騒な物を腐るほど所持しているのもどうかとは思ったが、今そのツッコミはするべきではないだろう。
準備を終えた九龍が振り返る。
「よしっ。それじゃあ、行くとしますか」
「おう」
暫くは機械の動く低い音と、鈍い振動だけが続く。
化け物が出ないのは助かるが、それがかえってこの場所の不気味さを強めているようだ。
それから吹き抜けになっている広い部屋に出ると、梯子を伝って更に下へと降りる。
高い場所は嫌いではなかったが、如何せん歩くスペースの狭さが気に入らない。
ようやく地下九階に当たる場所にある、魂の井戸の前まで辿り着くと、九龍は辺りを見回した。
「あの部屋を出た後は、ここから上に戻ったんだよな……」
俺も記憶を辿る。
確かに経津主を倒した後、この部屋まですぐに戻り、そのまま地上へと出たはずだ。
しかし周辺に、それらしい物が落ちている様子は無かった。
「中も見てみよう」
九龍が扉を開くと、眩いほどの緑色をした光が目を射る。
俺達はそれほど広くないその部屋を、一通りうろうろとしてみた。
「……明日にしろ、とは思わなかったのか?」
「えっ? 何が?」
床に目を落としたまま、俺は訊いた。
「どうせ明日の晩になれば、また潜りに来る気だったんだろう?
その時まで我慢しろとは思わなかったのか?」
狡い質問だとは分かっていた。
それでも九龍の口から、はっきりとした言葉を聞きたかった。
「思わなかったよ」
顔を上げると、九龍は笑いながら俺を見ていた。
「だって大切な物なんだろう? だったら、早い方がいいじゃん。それとも……明日でも良かったの?」
そう切り替えされて、俺はたじろいだ。
そんなわけがない。
「い、いや。そんなことはない。恩に着るよ。心から」
「だろう?」
満足そうな九龍の笑顔に、俺も満ち足りた気持ちになる。
九龍の中に、探しに戻らないという選択肢が無かったことを、確認したかったのだ。
「……悪いな、九ちゃん。ありがとう」
素直に感謝の気持ちを口にしたというのに、やはり九龍は一言多かった。
「いえいえ、どういたしまして。だいたい甲太郎にアロマとカレーを我慢しろなんて、絶対言えないって」
「……」
声を上げて笑う九龍を見ながら、俺は溜息を吐いた。
「やっぱり、あの部屋かなぁ」
床の上には僅かな埃が積もっているばかりで、やはり探し物は見つからなかった。
「そうだな……」
「そこの通路から、下まで落っこちたってことは考えにくい?」
「分からないが、確率としてはそっちの方が低いだろうな」
「そうだよな……。やっぱり、あそこまで行った方が早いか」
結局、俺達は魂の井戸を出て、もう一度梯子を上った。
それから反対側の通路に飛び移る。
目の前には、閉ざされた扉。
ここから先は、奴らが現れる。
「じゃあ、行くよ」
九龍が扉を開けた。
部屋は暗闇に包まれている。
後ろで扉が閉まった瞬間、H.A.N.Tが警告を発した。
『敵影を確認』
暗闇の中に、化け物達の笑い声が響く。
しかしそれはすぐに、猛烈な爆発音によって掻き消された。
二つ、三つと音は続き、九龍が次々に奴らを排除していっているのが分かる。
暗くて九龍の動きはよく見えないが、この辺りは何度も来ているから楽勝だろう。
俺には少しの不安も無かった。
やがて静寂が戻り、次の部屋へと移動する。
そこでも九龍は同じように、手際良く邪魔者を片付けていった。
そして。
「……さて。ここにちゃんとあればいいんだけど」
創生の間と呼ばれる部屋の扉の前で、九龍は俺を見て言った。
「もし、無かったらどうする?」
「……嫌なことを言うな」
「あはは。嘘、嘘。大丈夫だよ」
九龍は明るく笑った。
他の部屋とは違う、重厚な造りの扉を開くと、再びH.A.N.Tが鳴り響く。
『敵影を確認。戦闘態勢に移行します』
九龍がすらりと剣を抜く。
明らかに空気が違う。
圧倒されるような気配を感じる。
やがて地響きを立てる足音と共に、奴が禍々しい姿を現した。
「ウォォォォォォォ―――……!!」
九龍は剣を構え、少しずつ奴との距離を縮めていった。
大丈夫だ。
九龍は戦い慣れている。
アロマが無い今の俺では、バディとしてほとんど役に立たないが、
そんなことはたいした問題ではないだろう。
それでも万が一のときの為に、俺は九龍と奴の動きに神経を集中させた。
九龍が地面を蹴った。
剣を振り被り、巨大な経津主に切りかかる。
「ギャァァァァァ!!!」
痛みと怒りに、奴が大声を上げた。
そして反撃に出るべく、手にしている刀を振り上げる。
早くあいつと距離を取らなければならない。
それなのに次の瞬間、信じられないことが起こった。
「―――あっ」
九龍が小さくそう言ったのを、俺は確かに聞いた。
九龍は何故かその場で身を屈め、その隙に振り上げられていた刀が、九龍の上に落ちた。
「ぐあぁぁぁッ!!!」
「九ちゃんッ!!!」
今までに聞いたことのないような声だった。
俺は我を忘れて、九龍に駆け寄った。
倒れ込んだ九龍を抱き起こす。
嘘だ。
そんな馬鹿な。
こんなことが、どうして。
「―――!!!」
九龍を抱えたまま、地面を転がる。
もう一度振り下ろされた刀を、寸でのところで避けた。
俺は九龍を担ぎ上げると、出口を目指した。
ぐったりと重い身体。
耳元に、苦しげな呼吸が聞こえてくる。
大丈夫。
死んではいない。
出口は何処だ。
向こうか。
この部屋さえ出れば、奴は追ってこないはずだ。
俺は九龍を引き摺りながら、なんとかその場を逃げ出した。
急いで二つの部屋を抜け、中央の通路へと出る。
ひとつ下の階に、魂の井戸が見えた。
前方には梯子があるが、九龍を抱えたまま向こう側に飛び移るのは難しい。
迷っている時間は無い。
「九ちゃん、ちょっと我慢しててくれ」
勿論、九龍は答えない。
俺にも様子を伺う余裕は無い。
俺は九龍を背負い直すと、そのまま階下へと飛び降りた。
「―――ッ!!」
着地の衝撃に、九龍の装備が喧しい音を立てる。
危うくバランスを崩しかけたが、なんとか九龍を落とさずには済んだ。
痺れる足を踏ん張って、扉を開ける。
漸く辿り着いた。
俺は九龍を冷たい床に横たえた。
「九ちゃん!! しっかりしろ!! 目を覚ませ!!!」
叫びながら青ざめた頬に触れると、その場所が妙な色に染まった。
自分の手を見る。
九龍の血が、掌をべっとりと濡らしていた。
俺は慌てて、制服の袖で九龍の頬を拭った。
ここまでくれば大丈夫なはずだ。
頼むから、早く目を覚ましてくれ。
ああ、どうして俺は、こんなくだらないことの為に九龍を付き合わせたりしたんだ。
もしもこのまま目覚めなかったらどうする。
いや、そんなはずはない。
もしそんなことになったなら、俺もこの場で九龍の後を追うだろう。
駄目だ。
縁起でもないことを考えるな。
どうすればいい。
どうすれば目を覚ましてくれる。
教えてくれ。
その為なら、俺はなんだってする。
なんなら、俺の命を代わりに差し出してもいい。
だから早く。
早く、九龍。
「……」
荒かった呼吸が、徐々に穏やかなものへと変わっていく。
頬に血の気が戻り、そしてゆっくりと九龍の瞼が開いた。
「……甲太郎」
九龍は俺を見て、微笑んだ。
「九、ちゃん……」
九龍の声を聞いた瞬間、何故か視界がぼやけて、俺は目を擦った。
九龍が少し辛そうにしながらも、起き上がる。
「お、おい。大丈夫か?」
「うん。ありがとう、甲太郎……助かった」
「……バカ、礼なんて言うな」
もとはといえば俺の所為じゃないか。
お前は悪くない。
みっともないことに俺は震えていて、それは声にまで表れていた。
「なぁ……もう、本当に大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫。まだちょっと背中がちくちくするけど……。それよりも、はい」
九龍が俺に向かって、手を差し出した。
開いた掌に乗っていたのは、紛れも無く俺のアロマパイプだった。
「九ちゃん、これ……」
「ごめんな、心配掛けて。でも今にも踏み潰されそうだったもんで、つい手が伸びちゃったんだよね」
声が出なかった。
俺は今までこいつの何を見てきた?
こいつの傍で何をしてきた?
俺は最低だ。
こんな俺に笑いかけるな。
俺はお前のバディなんかじゃない。
嘘吐きで、最低の、裏切り者だ。
「……ごめん……」
受け取りながら俺が呟くと、九龍は慌てたように捲くし立てる。
「いやっ、今回のは完全に俺のミスだから! 甲太郎は気にしなくていいんだってば! ほんとに!」
違う。
そうじゃないんだ。
堪らなくなって、俺は九龍を抱き締めた。
暖かい身体。
九龍が耳元で囁く。
「大事なもの……もう、失くすなよ」
俺は九龍の言葉に頷くことが出来なかった。
出来るはずがなかった。
だって、俺はもう失っているんだ。
初めから、俺はお前を失っている。
どんなに抱き締めても、どんなに求めても、俺にあるのはただ、この灰色で退屈な世界だけだ。
だから早く終わらせてくれ。
俺を救い出してくれ。
お前のいない世界に、俺はもう耐えられない。
お前のいない世界など、俺はもういらないんだ。
- end -
2007.07.16
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