かりそめ
「眠い」というセリフは、ほとんど単なる口癖だ。
実際には「眠いような気がする」だったり、「眠れるものなら眠ってしまいたい」だったりする。
けれど今日ばかりは「眠い」と言い切れた。
眠い。
寝かせろ。
睡眠不足は心を荒ませる。
この眠気の原因はただひとつ。
毎晩飽きもせずに薄暗い穴倉で暴れたがる大馬鹿野郎に、昨夜も付き合わされたせいだ。
それが自分まで日課になってしまっているのが腹立たしい。
断るという選択肢が自分の中に無いことは、もっと腹立たしかった。
これはもう寝るしかない。
登校早々、保健室のベッドに潜り込むと、珍しく俺は熟睡していた。
「甲太郎ーーー!!」
「……ぐっ!」
静寂をぶち壊す叫びと共に、腹に思い切り肘を入れられて、一瞬胃の中の物が上がってくる。
誰がやったのかなんて見るまでもなかった。
こんな方法で俺の安眠を妨害する奴は一人しかいない。
「お、前なぁ……」
「ごめん、ごめん。痛かった?」
ベッド脇に立つ九龍は心にも無い謝罪を口にする。
その無防備な笑顔に怒る気も失せた。
「痛かった?じゃねぇだろうが、まったく……。どうせ起こすなら、もっと優しく起こせよ」
「えっ?! そんなことして良かったの?」
「お前は何を考えている」
「もちろん」
「ああ、やっぱり言わなくていい。黙ってろ」
聞けば頭痛がするだけだ。
発言を妨げられた九龍は、残念そうに下唇を突き出した。
諦めて、痛む腹を擦りながら起き上がる。
室内はカーテンを透した柔らかな光で満たされていた。
廊下を通る生徒達の声が微かに聴こえてくる。
「カウンセラーは?」
「知らない。俺が来たときにはもういなかったよ」
九龍はベッドの傍に置いてあった丸椅子に腰を下ろした。
「ふぅん……。で、いったい俺に何の用だ」
「用って。もう昼休みだぜ? 飯、食うだろ?」
「あー……」
もうそんな時間か。
確かに腹が減っているような気もする。
けれど今は食欲よりも睡眠欲のほうが勝っていた。
かれこれ4時間ほど眠っていたようだが、それでもまだ少し足りない。
俺は欠伸をしながら頭を掻き毟った。
「……甲太郎」
「あ?」
「よだれ!」
「?!」
いつもの九龍のくだらない嘘だと分かっていながら、俺は思わず顎に手をやってしまった。
人間の反射神経とは恐ろしい。
無様にも引っかかった俺を上目で見ながら、九龍は噴き出したいのを堪えているようだった。
「九ちゃん……俺はそういう冗談は好きじゃない」
「そう? 俺、大好き!」
「子供みたいな奴だな」
「騙されたくせに偉そうに」
「……」
さすがに返す言葉が無い。
俺のペースはいつでもこうして乱される。
そもそも誰の所為でこんなに眠いと思っているのか。
昨夜、俺の睡眠時間を奪ったのはこいつだ。
朝から部屋のドアをけたたましく叩いて、俺を無理矢理起こしたのもこいつ。
そして今、俺の安らかな眠りを妨害したのも、またこいつだ。
いい加減、報復してやらないと気が済まない。
俺は九龍の顔を横目で見ながら言った。
「……そういうお前も、顔になんか書いてあるぜ」
「はっ? また、そんな。悪いけど、俺は騙されないぜ」
「そうか。なら、別に俺は構わんがな。恥を掻くのはお前だけで、俺には関係の無いことだ」
「そこまで言うか。だったら、なんて書いてあるのか言ってみろよ」
「どれ、よく見せてみろ」
九龍の顎を掴み、こちらに引き寄せる。
その頬に顔を近づけると、九龍は僅かに目を見開き、体を硬直させた。
明らかにうろたえている。
面白くなって更に顔を近づけ、耳元で囁いてやった。
「……俺のことが好きだ、って書いてあるな」
「!!!!!」
瞬間、九龍は耳まで赤く染めながら、俺の手を振り払った。
「なっ……あ、阿呆か、お前は! まだ寝惚けてんだろ?! そうなんだろ?!」
「おいおい、仮にもここは保健室だぜ? そんなに大声出すもんじゃないだろう」
「どうせ俺と甲太郎しかいねーじゃん……」
「まあ、そうだな。それにしても散々自分から好きだのなんだのと言っておきながら、
どうして俺に指摘されるとそんなに動揺するのか、さっぱり分からないな」
「そっ、それは……けど、そういうことは自分から言うもんじゃねーだろうがっ」
「ああ、そうかい。そりゃ悪かったな」
「悪いなんて思ってないくせに……」
九龍は俺を睨みながら、いつまでもぶつぶつと文句を言い続けている。
けれどその顔はまだ熱を持っているように赤い。
そんな九龍の様子が、俺の加虐心を煽った。
せっかくだから止めを刺してやろう。
「九ちゃん。そんなお前に、折り入って頼みがあるんだが」
「そんな俺って、どんな俺だ」
「いいから。聞いてくれるか?」
「……言ってみろよ」
さすがに警戒しているようだ。
俺は口元が緩みそうになるのを必死で堪えながら言った。
「カレーパンが食いたい」
もう我慢の限界だった。
一生寝てろ!と怒鳴りながら出て行く九龍の背中を眺めながら、俺は声を上げて笑った。
そしてこんな風に笑えるようになったのも、あいつに出会ってからだと気づく。
ひとり残された俺の笑いはいつしか自嘲のそれへと変わり、やがて保健室には静寂が戻った。
あとどれぐらい、あいつとこうして過ごせるのだろう。
あいつの隣りで笑い、あいつの隣りで怒り、あいつに触れることが出来る時間は、あとどれぐらい残されている?
そしてそれを失うとき、俺は平静でいられるのだろうか。
「……」
枕元に置いてあったアロマパイプとジッポを手に取る。
火をつけようとして、躊躇った。
あいつはきっとカレーパンを手に戻ってくるに違いない。
そういう奴だ。
そういう奴だからこそ、俺は―――。
パイプとジッポを戻し、ベッドに寝転がって瞼を閉じる。
怒りながら戻ってくるあいつの顔を思い浮かべながら、もう一眠りさせてもらうことにしよう。
- end -
2004.12.22
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